スポンサーリンク

『中居正広の金曜日のスマたちへ 波乱万丈スペシャル』

中居正広の金曜日のスマたちへ 波乱万丈スペシャル』 TBS 9月26日(金)21:00~23:15
公式HP:http://www.tbs.co.jp/kinsma/
ゲスト:EXILE
●『波乱万丈 EXILE物語
 時は今から22年前の1986年。
横浜のとある町にあった小さな貸しレコード店。
EXILEの奇跡の物語はここから始まるのである。
当時、この店に熱心に通い詰める一人の若者がいた。
彼の名は五十嵐広行。後のEXILEリーダー・HIROである。
彼は当時大流行していたディスコに魅せられ、そこで聴いていた音楽を探しにこのレコード店に毎日のように通っていた。
ここで彼は運命の出会いを果たすのである。
当時、この貸しレコード店には客の鼻歌を聴いただけで何の曲かわかってしまうほど豊富な音楽知識を持つカリスマ店長がいた。
彼の名前は松浦勝人。後にエイベックス・グループ社長となる人物だった。
当時、松浦氏は、大学生のアルバイトながら最新の輸入版レコードに独自の解説を加えることを考案して話題となり、店の売り上げを年間1億2000万円にまで引き上げた凄腕の店長であった。
これがEXILEリーダーとエイベックス松浦氏との出会い。
もちろん、当時はお互いの未来の姿など想像もしていなかったが、この出会いが後のEXILE誕生に大きな影響を及ぼすこととなる。
 その後、HIROは、大のディスコ好きが高じて東京六本木のディスコで店員としてアルバイトを始めた。
当時の六本木にはダンスの本場アメリカから最新の技術がいち早く伝わってくる。
それに刺激を受けたHIROは閉店後の店内で毎日夢中になってダンスの練習をしていたという。
そしてHIROは「いつかダンスで世に出たい」そう思うようになっていった。
だが、当時はまだダンサーという仕事が一般的でなかった時代。
どんなにディスコでダンスが上手くてもそれが職業になるはずもなかった。
 ところが、あるダンスのオーディション番組への出演が、彼の人生を大きく変えることになった。
なんとその番組内でダンスチームを結成することになったのである。
それが1990年に誕生した伝説のダンスユニット「ZOO」である。
当時20歳だった彼は最年少ダンサーHIROとして参加。
テレビ番組の企画から始まった「ZOO」はすぐにスターへの階段を駆け上がり、なんとデビュー2年目にして武道館ライブを達成。
多くのダンサー達に夢を与えた「ZOO」。
その活躍をテレビにかじりつくように見ていた少年達がいた。
当時、中学生だった松本利夫、宇佐美吉啓、眞木大輔。
後にEXILEとなる彼らはHIROたち「ZOO」に憧れダンスを始めるのである。
 ひょんな事から突然スターになったHIRO。
しかし、とりまく環境が少しずつ彼を変えていった。
夜の街へ繰り出せばどこへ行ってもスター扱い。
「ZOO」の仕事が終わると毎日のようにディスコやクラブへ直行して豪遊。
お金と時間の全てを遊びに費やすようになっていた。
その当時を振り返ってHIROは自らの著書「Bボーイサラリーマン」でこんな風に語っている。
踊りで喰えるようになれたらいいな、なんて夢を抱いていながら、夢がいざ現実になってみると、そのことの意味について考えてもみようとしなかった。
ZOOのメンバーとして踊っている自分を大切にすることができなかった。

(Bボーイサラリーマン引用)
そして終わりが来た。
結成から5年後の1995年、一時代を築いたダンスユニット「ZOO」は解散。
その後、HIROはすぐに新たなグループを結成し再出発。
しかし、「ZOO」という大きな看板がなくなってしまった後は中々仕事ももらえず、結局そのグループもすぐに解散。
要するに俺は、芸能界的にいえば、死んだも同じだった。
落ち目の人間には、世間は冷たい。世の中は、俺を理解してくれない。
そんなことばっかり考えていた。

(Bボーイサラリーマン引用)
失ってみて初めて分かった社会の現実…。日々学ぶことだらけだった。
 この頃、HIROは知り合いだったドリカムのサポートメンバーとして踊っていたことがあった。
そのリハーサルで、HIROはボーカルの吉田美和から思いもよらない言葉を聞かされる。
「今日来てくれるお客さんは自分のお金でチケットを買って見に来てくれるんだから、私たちは心を込めて一生懸命やろう!」
自分達はお小遣いをはたいてチケットを買って見に来てくれるファンの人のために舞台に立つのだ。
そのために万全の準備をしベストのパフォーマンスをするのが本当のプロ。
そんなことに改めて気付かされた…。
そしてHIROはある決意をする。
”もう一度あの武道館へ!”
 時は過ぎて1999年。
再び頂点に立つために目指す形は、最高のダンサーとボーカルのユニット。
HIRO30歳。
メンバーを探すゼロからのスタートだった。
HIROが目をつけたのは、当時ダンスシーンでカリスマ的存在だった3人の天才ダンサー。
ストリートの世界で絶大なる支持を受けていたダンスチームのメンバーMATSUとUSA。
そしてMISIAのバックダンサーをしていたMAKIDAI。
そう、彼らが後にダンス少年達の憧れとなるEXILEパフォーマーとなるのである。
こうしてHIROを中心に、MAKIDAI、MATSU、USA、さらにボーカルの1人を加えてEXILEの前身となる「J Soul Brothers」を結成。
目標は夢の武道館。
だが、芸能事務所には所属していたものの先々のスケジュールは全くの白紙。
しかも事務所から貰える月給はたったの6万円。
牛丼屋で一つの皿を皆で分け合って食べたこともあった。
絶対に成功させなければ…もはや自分だけの問題ではない。
年下である彼らの未来もかかっていた。
 その頃、HIROが訪れたのは東京の一等地・表参道。
ここに、ある人物を訪ねに来ていた。
かつて、お世話になったあのレコード屋の店長・松浦先輩だ。
あれから十数年、彼は輸入レコード卸会社を興し大成功。
現エイベックス・グループの創業者として音楽業界で絶大な力を持つまでに成功していた。
このビルの最上階に松浦がいる。
だが、今や相手は音楽業界の大物。
かつての後輩とはいえ、おいそれと会えるものではない。
そこで、HIROは「偶然会って酒の席で話をするくらいなら迷惑にならないだろう」
そんな思いで松浦の行きそうな店を夜ごと回った。
そして叶った松浦との再開。
「力を貸して欲しい」プライドを捨て何度も頭を下げた。
泥に這いつくばってでもこのチャンスを掴む。絶対に松浦の首を縦に振らせたい。
松浦「ねぇHIRO、ちょっと踊ってよ」
HIROはカラオケバーでのこんなリクエストにも喜んで応えた。
だが、かつて武道館のステージを踏んだ人間がカラオケ屋のステージで自分の曲を踊る…
周りから見れば惨め以外の何物でもない…。
HIROは、この時のことを著書「Bボーイサラリーマン」でこう語っていた。
こんなことは、何でもない。俺にはでっかい目的があるんだ。
周りにいるのは、ただの外野。
俺はソファの真ん中に座る人のために踊っていた。
その人だけは、何のわだかまりもなく、澄んだ目で俺を見つめ、ただ嬉しそうに懐かしいダンスを楽しんでくれていた。
もしかしたら、その冷静な目の奥底で、俺の根性を測っていたのかもしれない。
コイツは本当に、自分の口から出たことを、やり抜く意志があるのだろうか、と。

(Bボーイサラリーマン引用)
そして…
松浦はエイベックスとの契約を了承してくれた。
こうしてHIROたちはエイベックスから3枚のシングルを発売。
後に、このグループが形を変え「EXILE」となるのである。
だがそれはまだ先の話…まだまだ不遇の時代は続いた。
 知名度を上げるために年間100日以上のステージ。
といっても、ライブハウスだけでなく渋谷ハチ公前でのストリートライブ、地方デパートの屋上でのパフォーマンス。
踊れる場所があればどこへでも行った。
苦しい下積み生活。
しかし、どんなに苦しくても夢だけはある。
HIROはいつもメンバーにこう語っていた。
「俺は本気で武道館のステージに立ちたいと思っている」
その熱い思いは他のメンバー達にも少しずつ確実に伝染していった。
地道な活動を続けながら待ち続けたチャンス。
しかし、待っていたのはチャンスではなく、またもピンチだった。
ある日のこと、なんとグループの生命線ともいえるボーカルが脱退してしまったのだ。
まさに絶対絶命…。
だが、このピンチが後のEXILEの命となる天才ボーカリストとの出会いを生むのである。
 それはボーカル探しに明け暮れていたある日のこと。
あのモーニング娘。を生んだ伝説のオーディション番組「ASAYAN」。
そのオーディションに、後の「EXILE」ボーカル・ATSUSHIが出場していたのである。
音楽一家で育ったATSUSHIは幼い頃からピアノの英才教育を受けていた音楽エリート。
その天性の歌声から歌手を志し、様々なオーディションを受けていた。
しかし番組では決勝で落選。
勝ち残った二人が「CHEMISTRY」としてデビューした。
「なんとかATSUSHIを引っ張りたい」
HIRO達は知人のつてを辿り、待ち焦がれる思いでATSUSHIとの初対面を果たした。
そして、奇跡の出会いはこれだけではなかった。
スタッフが偶然見ていた地方テレビのオーディション。
そこに出場していたのが、後に「EXILE」に加入するボーカル・SHUNだった。
偶然同じ時期に出会った二人の天才ボーカル。
この時点ではまだ二人の加入もツインボーカルでいくことも決まっていなかった。
しかし、まるで導かれるように運命が動き出すのである。
 エイベックスに掛かってきた一本の電話。
「ドラマの挿入歌を歌える男性アーティストはいないか」そんなテレビ局からの問い合わせだった。
そこに、たまたま通りかかったのがHIRO達の担当者・原田氏。
なんと、ボーカルも正式に決まっていないのにドラマの話を受けてしまったのだ。
さらに驚くことに曲すら決まっていなかったのだ。
そして3日後。
二人の正式加入も決まっていない状態でのレコーディング。
完全なる見切り発車だった。
迎えた放送当日。
ドラマで曲が掛かるとテレビ局には、曲名もアーティスト名も公表されていないこの曲への問い合わせが殺到。
そんな反響もありHIROはATSUSHIとSHUNを迎えツインボーカルで行くことを決断。
さらに新たなスタートを切るということで、レコード会社の勧めでグループ名を改名することに。
「J Soul Brothers」改め「EXILE」。
2001年夏。
様々な偶然と運命が重なり合い、後のモンスターグループは産声を上げた。
そしてその一週間後に発売されたドラマ挿入歌の日本語版、デビューシングル「Your eyes only~曖昧なぼくの輪郭~」。
その反響に今後の行く末が掛かっている。
果たしてオリコンランキングは何位なのか…
発表のその日、HIROはまるで合格発表を待つような気持ちでいた。
結果は…なんと初登場4位。
メンバー全員で心の底から喜んだ。
そして待ちに待った音楽番組からの出演依頼。
HIROは並々ならぬ決意で迎えていた。
収録スタジオの玄関を前にして俺は、このチャンスを逃したら死ぬってくらいの気合いを入れていた。
(中略)
何分間かテレビに出演するくらいのことで何を大げさなと言われても仕方ない。
でも、俺の目には見えた。
それは、雲の上から俺たちに向かっておろされた、一本の細い蜘蛛の糸なのだ。
(中略)
テレビ局の玄関は、俺にとってはその蜘蛛の糸の端っこだった。
すべては、ここから始まると思った。

(Bボーイサラリーマン引用)
 EXILE結成から数年後のことだった。
メンバーがそれぞれ50万円を出資し、有限会社エグザイルエンタテイメントを設立。
それにはこんな理由があった。
それはEXILE結成前のこと。
HIRO「実は夢がいっぱいあって将来的にはCD出すだけじゃなくて色んなことがやりだいです。」
そう言って松浦に見せた計画表には、HIROが実現したい幾つもの夢が書かれていた。
松浦「もし本当にこれを実現したいんだったらお前が自分の会社作るしかないな」
HIRO「自分達の会社ですか?」
松浦「そうだ」
”何にも縛られずメンバー全員の夢を叶える場所を作る”
社長のHIROを筆頭にメンバー全員が所属タレントであり社員。
月給は15万円。東京青山に小さな事務所を借りた。
移動はバン1台。
ギュウギュウ詰めで乗り込み、テレビ局からライブハウスと日本中を駆け回る。
そんな地道な努力の甲斐もあって、会社を設立して4ヶ月後には遂にセカンドアルバムがオリコン1位の座を獲得。
その後、会社は知人の会社と合併。
資本金も社員数も大幅に増え、社名も株式会社LDHに変更。
本格的な事務所経営に乗り出すと、日本中にEXILE旋風が吹き始める。
新会社設立の2ヶ月後には、10枚目のシングル、ZOOのカバー「ChooChooTRAIN」を皮切りに、なんと1ヶ月で4枚のシングルを続々とリリース。
さらに、暮れに発売したアルバムで遂にミリオンセールスを達成。
すると年末にはレコード大賞金賞を受賞。
そして新人アーティストの誰もが夢見るNHK紅白歌合戦にも初出場。
この時まだEXILEを結成してわずか2年。
芸能界とは全く無縁のアンダーグラウンドの世界にいた男たちがまるで夢物語のように一気に日本の音楽シーンの頂点まで登りつめたのだ。
 そして結成3年目の2004年6月、彼らはあの場所にいた。
「もう一度あの武道館へ」そう誓った日から6年。
どん底から沢山の仲間と這い上がり、HIROはEXILEとしてこの舞台に帰ってきた。
超満員の武道館。
ずっと探していた夢を追いかける仲間達。
たった一人で踊っていた「ChooChooTRAIN」はこの時最高の仲間を得て、大きなうねりになろうとしていた。
 2006年3月、激動の時代はここから始まった…。
ATSUSHIとツインボーカルだった、SHUNがソロに転向するためにEXILEを離れたのである。
SHUNが抜ける…
そのことで誰よりもショックを受けたのは同じボーカルのATSUSHIだった。
SHUNの抜けた穴、その影響は計り知れないものだった。
一度狂い始めた歯車…
そして負の連鎖が始まるのである。
 それから間もなくのこと…ATSUSHIの喉にある異変が起きた。
ATSUSHIの喉にはポリープが出来ていたのだ。
「もう二度と同じ声では歌えなくなるのでは…」
散々迷った上での手術。
ボーカルがいなければグループは表現する声を失う。
ATSUSHIが歌えない…EXILEはここから約半年間活動を休止。
さらに、発売したアルバムの売り上げも前作に比べ、なんと半分以下に落ち込んでしまった。
「EXILEは終わった」
音楽業界ではそんな声が囁かれていた…。
だが、負の連鎖はこれで終わりではなかったのである。
 ある朝のこと…
今度はパフォーマーのMATSUの体に異変が起きた。
目覚めた時、昨日まで見えていた左目が見えなくなっていた。
実は、MATSUは元々ベーチェット病という病に侵されていた。
この病気は、原因も治療法も分からない難病で、体に様々な潰瘍を引き起こす。
特に目に症状が現れることが多く、その場合失明する可能性が極めて高い。
休養せずにEXILEを続ければ病気を進行させる可能性もある…。
簡単に決められることではない。何日も何日もMATSUは悩んだ。
そして…
「例え失明しても悔いはないです。EXILEを続けていきます。」
これがMATSUの選択だった。
”SHUNの抜けた穴、ATSUSHIのポリープ、MATSUの病、全てを乗り越えて新しいEXILEを作る”
そして、HIROは新メンバーを加入させた。
現在、役者としても活躍しているパフォーマーのAKIRAである。
そもそもAKIRAを発掘したのはUSAとMAKIDAIが訪れた小さなクラブ。
日本人離れしたダンサーそれがAKIRAだった。
だが、問題なのはSHUNの抜けたボーカルの穴。
ここで、HIROは大きな決断をする。
「もう一人のボーカルを一般から募集しよう」
前代未聞のボーカル一般公募。
受かれば即EXILEという夢のオーディションは大々的にマスコミに取り上げられた。
EXILEのボーカルを夢見て集まった人数は約10000人。
審査員はなんとEXILEのメンバー本人達。
そして、この中に人生を変える一人の若者がいた。
彼の名はTAKAHIRO。
美容室に勤めていたが、EXILEに憧れ歌手になろうと決意し、友人と共にこのオーディションに参加していた。
最終決戦の舞台はメンバー達の想いが詰まった武道館。
勝ち残ったのはTAKAHIROを含め6人。
マスコミにも大々的に報道された。
そして、TAKAHIROがEXILEの新たなボーカルに決定した。
 その翌日からTAKAHIROの人生は180度変わった。
次々と入ってくるスケジュール。求められるプロのレベル。
”ある日突然ミリオングループのメンバーになる”
周りから見れば夢のようなジャパニーズドリーム。
しかし…
「もしも自分が加入してセールスが減ったら…EXILEは落ちたと言われたら…」
マイクの向こうには100万人以上のファンがいる。
思うように歌えない悔しさととてつもないプレッシャー。
初めてのテレビ出演前夜は不安と緊張で眠れなかった。
そんな時に届いた一通のメール。
もう一人のボーカルATSUSHIからだった。
『明日は緊張するかもしれないけど なによりこの日を待ち続けてくれたファンの皆のためにも楽しもう!
楽しんだらちょっとくらいピッチ外れてても なんか「楽しそうでいい感じだったよね」って言われればそれでいいと思う。
僕は5年間このときを待っていたのかもしれない。
そしてここからまた新しいドアを開けて一歩進んでいきましょう。』
ATSUSHIの言葉が臆病になっていた背中を押してくれた。
そして迎えた新生EXILE初めてのツアー。
新しいEXILEをファンは受け入れてくれるだろうか。
様々な苦難を乗り越えてのこのツアーにメンバー全員が賭けていた。
しかし…
本番を明日に控えたリハーサル中のことだった。
MATSUのお父さんが亡くなったのである…。
亡くなる前日、ツアーを前に実家を訪れていたというMATSU。
MATSU「明後日からツアー始まるよ。皆の席とってあるから絶対見に来てよ。」
「ああ絶対行くから頑張れ。それよりお前目は大丈夫なのか?」
MATSU「大丈夫だよ。」
「そうか…俺が代わってやれたらなぁ」
息子の難病を代わってあげたい、それが父の口癖だった。
そして、
「そうだ…コレお前にやるよ、とっとけ。」
MATSUに渡されたのは指輪だった。
「ツアー楽しみにしてるからな、頑張れよ。もっともっと大きくなれ!」
これが最後の別れとなった。
そして迎えたツアー初日。
MATSUは全公演、父の指輪をはめてステージに立った。
様々な困難を乗り越え、メンバー達で支え合い懸命に走りぬいた4ヶ月。
ツアー最終日、ステージの上にはメンバー達の様々な想いがあふれていた。
ライブの最後には、何万人という観衆が一斉に点けたペンライト。
それは新たな船出を祝うファン達からのサプライズ。
EXILE第2章の本当のスタートだった。
 2008年、「EXILE PERFECT YEAR」と銘打った今年、彼らはデビュー8周年を迎えた。
LOVE(愛)
DREAM(夢)
HAPPINESS(幸せ)
それが彼らの会社、そしてEXILEの信念。
EXILEの奇跡の物語は、まだ始まったばかりなのである…。

タイトルとURLをコピーしました