『全国一斉!日本人テスト』 フジ(木)19:00~
公式HP:http://wwwz.fujitv.co.jp/ponta/index.html
出演者:オリエンタルラジオ、三宅裕司、MEGUMI、次長課長、照沼拓也、ロバート・ボールドウィン、ケンドーコバヤシ、岡本玲、半田健人、村上知子、井森美幸、高橋英樹、林家三平、勝俣州和
◆小学校6年生 社会「日本の生産品」
(1)「液体の天然ゴムでを使って作られる、家事には欠かせないモノとは何でしょうか?」
◇正解 ゴム手袋
【ゴム手袋ができるまで】
まずは白い液体ゴムに薬品を入れて着色します。
そしてセラミックで出来た「手型」を液体ゴムに浸し、ゴム手袋の厚い層を作ります。
そして回転させながらヒーターでまんべんなく乾燥させます。
次にブラシを当てて手首の部分を巻き上げ、丈夫にします。
さらに特殊な液体ゴムに浸し今度は白い層を作ります。
これがゴム手袋の内側となり、乾くとスウェードのような表面が出来てはめやすくなるのです。
そして洗浄した後、最後はエアーでひっくり返して表側にすればゴム手袋の完成です。
◆小学校4年生 社会「最新リサイクル」
(2)「現在ではリサイクル回収率約70%を達成したある物とは何でしょうか?」
◇正解 ペットボトル
◆小学校6年生 国語「略語」
(3)「『意味深』とは何の略でしょうか?」
◇正解 意味深長
この「深長」とは”言葉や表現が奥深く含みが多い様子”という意味の言葉なのです。
◆小学校6年生 国語「略語」
(4)「『不思議』とは何の略でしょうか?」
◇正解 不可思議
「不可思議」とは想像もつかないようなことを意味しており、これが省略され「不思議」となりました。
このことから”10の64乗”という「想像もつかないほど大きい数字」を表す単位としても使われるようになったのです。
ちなみに「不可思議」とは2番目に大きな数の単位。
その上をいく1番大きな単位は「無量大数」です。
「はかることが出来ないほど大きな数字」という意味で一般的に”10の68乗”を表しています。
◆小学校2年生 国語「よみがな」
(5)「文章の末尾に打つ「。」の名称は何というでしょうか?」
◇正解 句点
「句」とは一区切りの言葉や文章のこと。
区切りの末尾に付けられるのでこう呼びます。
また「、」の名称は読点(とうてん)。
文章に切れ目を入れると読みやすくなるためこうよばれています。
これらを合わせて句読点と呼びます。
◆小学校6年生 国語「漢字の成り立ち」
(6)「人が2人、正面を向いて立つ様子から生まれた漢字は何でしょうか?」
◇正解 並
これは「立」という漢字が2つ組み合わさったもので、皆おなじように立っていることを表しています。
このことから「程度が普通であること」を意味するようになりました。
ちなみに…
立っている人が逆さを向いた様子から生まれたのが「化」という漢字。
人が姿を変え別の様子を見せている状態を意味しているのです。
◆小学校4年生 国語「ことば遊び」
(7)「『秋の夕日』とかけて『おふろ上がりのお父さん』と解く。その心は?」
◇正解 どちらも真っ赤です
◆小学校5年生 理科「花のつくり」
(8)「花の最も外側にあるこの部分の名称は何でしょうか?」
◇正解 がく
◆小学校6年生 理科「地層」
(9)「この生物の化石は何というでしょうか?」
◇正解 アンモナイト(菊石・アンモン貝)
アンモナイトとは約4億年前から6500年前まで海に住んでいた生物。
見た目は巻貝ですが実はイカやタコの仲間だといわれています。
◆小学校3年生 理科「磁石」
(10)「アルミ缶とスチール缶、磁石にくっつくのはどちらでしょうか?」
◇正解 スチール缶
◆小学校4年生 社会「身近な地図記号」
(11)「この地図記号は税務署に関する、ある物の形に由来しています。その物とは何でしょうか?」
◇正解 そろばん(そろばんの珠)
その昔、お金を数えるのにそろばんが用いられ、その後、税務署でもそろばんを使っていたので税務署を表す記号となったのです。
◆小学校6年生 社会「江戸時代の偉人」
(12)「伊能忠敬が作った、今では我々の生活に欠かせないものとは何でしょうか?」
◇正解 日本地図(地図)
伊能忠敬が地図を作り始めたのは意外に遅く、なんと50歳。
昔から天文学に興味を持っていた忠敬は本業であった商人を辞めた後、本格的に地図作りの勉強を始めたのです。
当時、地図を作る方法は自らの歩幅で計り、実際のサイズを割り出すというもの。
そのため、日本の土地全てを歩いて計測するのは膨大な時間が必要でした。
そして地図を作り始めてから23年。
73歳になった忠敬は地図を完成することなく、志半ばで亡くなってしまいます。
ところが忠敬の弟子たちはその事実を隠したのです。
実は「この地図は伊能忠敬が作ったと世間に知らしめたい」という弟子達の想いで忠敬の死後も地図を作り続けたのです。
そして3年後、地図が完成。
その2ヶ月後、忠敬の死もようやく公表されたのでした。
その完成した地図は昭和の初めまで用いられるほど精度が高く正確なものだったのです。
この偉業は忠敬の夢と弟子たちの熱い想いがひとつになって成し遂げられたのです。