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『カンブリア宮殿』 3月23日

カンブリア宮殿』 テレ東(月)22:00~
公式HP:http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/
出演者:村上龍、小池栄子、亀井修、五十嵐隆夫
◆カンブリアFile No.141 小学館 常務・亀井修、講談社 専務・五十嵐隆夫
●『永遠のライバル サンデー×マガジン
1959年、小学館ではある極秘プロジェクトが進行していた。
それは、日本で初めての週刊少年漫画雑誌の創刊だ。
当時の漫画は「ぼくら」や「冒険王」といった月刊誌の時代だった。
小学館は5月5日の子供の日の創刊を目指し準備を進めていた。
実はこの時、講談社でも週刊少年漫画雑誌の創刊に向けて動き出していた。
”相手より1日でも早く創刊しろ”
両者は互いに情報を探っては発売日を繰り上げた。
そして、偶然にも同じ3月17日に発売されることになったのだ。
こうして店頭に並べられた週刊少年漫画雑誌。
それが小学館の「週刊少年サンデー」と講談社の「週刊少年マガジン」だ。
この日から「サンデー」と「マガジン」は競い合いながら子供から若者までを虜にしていく。
「あしたのジョー」、「巨人の星」などスポ根ブームを生み出した「マガジン」。
「パーマン」、「まことちゃん」などギャグ路線の「サンデー」。
それぞれの一時代を築いた二人の編集者がいた。
赤塚不二雄の人気漫画「天才バカボン」の中に、ちょっと変な出版社の社員「バカラシ記者」が登場する。
この「バカラシ記者」こそ、講談社の専務・五十嵐隆夫だ。
五十嵐は1966年、講談社に入社。
以後40年間、漫画一筋。その屋台骨を支えてきた。
1986年、編集長となった五十嵐は”感動路線”を主軸に据えた。
名探偵の孫を主役にした本格推理漫画「金田一少年の事件簿」、ヤンキー先生と問題児の交流を熱く描いた「GTO」など、シリアスと感動をテーマに話題作をたてつづけに送り出す。
そして1998年には発行部数450万部を記録。漫画雑誌の首位を獲得した。
少年マガジンは今も五十嵐が目指す感動路線をひた走る。
一方、1976年から少年サンデーに連載された「がんばれ元気」。
勝てないボクサーの父に寄り添いながら世界チャンプを目指す少年・元気。
物語は連載開始直後に急展開を見せる。父親が事故死してしまうのだ。
実は父親を殺させた真犯人が当時、担当編集者だった亀井修。
父親を事故死させることで運命的なドラマを作れると考えたのだ。
さらに、亀井は父親との日々を回想する映画的な手法を作者に描かせ、多くの読者の感動を呼ぶことに成功した。
亀井は1968年小学館に入社。
少年サンデーを皮切りにコミック畑を歩み続けた。
●『10兆円産業 マンガで儲けろ!
漫画雑誌の売り上げは低迷しているが、実は単行本の方は健闘している。
それにはこんな理由があった。
1991年に放映されたドラマ「東京ラブストーリー」。
この原作は小学館から出版された柴門ふみの漫画だ。
この作品をきっかけに漫画のドラマ化が増えていったのだ。
去年だけでも120点の漫画が映像化されている。
”ドラマの原作として漫画を売り込め”
それが出版社側の戦略だ。
映像だけでなく、漫画は各方面からも引っ張りダコだ。
ユニクロがサンデー・マガジンとのコラボで売り出したのは漫画キャラクターのTシャツ。
ゲームにも漫画のキャラクターは欠かせない存在だ。
今やマンガ関連の市場規模は10兆円を超える。まさに宝の山なのだ。

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