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『カンブリア宮殿』 5月3日

カンブリア宮殿』 テレビ東京(月)22:00~
公式HP:http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/
出演者:村上龍、小池栄子、雨宮清
◆カンブリアFile No.196 山梨日立建機社長 雨宮清
●『地雷撲滅に挑む技術屋 命がけ!超現場主義
12世紀に築き上げられたアンコールワット。この世界遺産で知られるカンボジア。
雨宮はこの地をすでに30回以上訪れている。
彼が向かうのはこの国に広がる地雷原。
カンボジアには今も400万個以上の地雷が埋められているという。
内戦末期の1992年から2008年までに8000人以上の人たちが地雷の被害に遭っている。
地雷の除去を進めているが手作業では1平方メートル当たり約2時間かかる。
作業中の爆発事故も絶えなかった。
そんな中、地雷撲滅のため雨宮が開発したのが、ショベルカーを改良した地雷除去器だ。

雨宮が独自に考案したロータリーカッター。
ロータリーカッターは高速回転する複数の刃で、埋められている地雷を爆発させるもの。
この方法なら速く安全に地雷を取り除く事が出来る。

雨宮は自らマシンを操り、現場で地雷の処理にあたる。
常に先頭に立って作業に取り組むのが雨宮のモットー。
自らマシンを使ってみることで機械の状態を確認するのが雨宮のやり方だ。
山梨県南アルプス市にある山梨日立建機。
日立建機の子会社として建設機械の販売や整備を行っている。
社長である雨宮は常に目標に挑み続けてきた。
山梨県で生まれた雨宮は15歳で上京。
建設機械の整備会社で叩き上げた。
23歳の時、山梨に戻って建設機械の整備工場を創める。(1970年 峡東車輌工業所創業)
年中無休で各地の建設現場を飛び回る日々。
1980年代には夢だった海外進出を果たし、中古の建設機械を売りまくった。
会社の売り上げは右肩上がり。
雨宮は成功者となった。
そして1994年、雨宮はカンボジアを訪れる。
当時のカンボジアは20年に及ぶ内戦が終結したばかり。
復興が始まれば建設機械の需要があると考えたのだ。
しかし、山岳地帯では未だに戦闘が続いている状況。
少しばかり時期が早かった。
ビジネスを断念した雨宮だったが、この時運命に導かれることとなる。
彼が街で目にしたのは片足を失った多くの人々。
その中の一人の老婆が雨宮に言った。
あなた日本人でしょう 私たちを助けてください
雨宮は地雷除去機の開発を決意する。
しかし、ロータリーカッター完成までにはいくつもの問題をクリアしなければならなかった。
地雷の爆発には大きな衝撃と1000度にもなる爆風が伴う。
それらに耐えきれずロータリーカッターの刃が折れてしまうことが多かったのだ。

雨宮はロータリーカッターの刃に使う金属の改良を重ねた。
地面が掘れる硬さと衝撃に耐えられる柔らかさを持った合金を4年がかりで開発。
特許も取得した。
かくして地雷の爆風をものともしないカッターが完成したのだった。

地雷除去機の開発にあたって雨宮は何度も地雷原に出向き、そこの作業員たちに話を聞いた。
そこで彼が目にしたのは地雷原の草木を刈る作業員の姿。
地雷を探す前に、まずは草木を刈り取らねばならず、これに作業時間の7割をとられていたのだ。
そこで雨宮はロータリーカッターの刃をさらに改良。
背の高い木も短時間で伐採できるようにした。
伐採した木を掴んで片付ける装置もつけさらに作業効率もアップ。
これらの工夫で手作業の60倍という作業効率を実現した。

結果雨宮の機械はカンボジアに28台導入。
現場の声に耳を傾けて開発した機能が高い評価を受け、フン・セン首相からも勲章を受けた。
あの時の老婆の言葉にようやく応えられたのだった。
そして、1号機を納入してから10年。
かつての地雷原は見渡す限りの田んぼに変わり、人々が生きていくうえで欠かせない実りの大地となった。
雨宮の地雷除去機は現在世界7ヵ国で70台が稼動。
地雷原を平和な農地に変え続けている。
●『建設不況でも過去最高 貢献ビジネスの底力
就業と同時に電話が鳴る。
県内各所の建設現場から入る機械トラブルの連絡だ。
スタンバイしていた社員が、ただちに現場へ向かう。
故障の原因をすぐさま見つけ出し、修理にあたる。
この「即応」のアフターサービスこそが創業以来の伝統だ。
このサービスが認められ、山梨県内におけるショベルカーの販売でシェア7割。
業界3位の日立建機グループにあって、突出した販売拠点となっている。
雨宮は強い本業で得た収益の一部を地雷除去機の改良につぎ込み、今なおマシンを進化させていた。
この日、雨宮の社長室に経理担当者がやって来た。
地雷除去の事業について報告があるという。
地雷除去機の開発に投じた10億円の回収はまだまだ先の状況だ…。
その地雷除去機の事業は会社に一つの変化をもたらしていた。
山梨県外からも人材が集まり始めた。
事業単体では赤字だが、それと引き換えに雨宮は社員の誇りというかけがえのない財産を手に入れていた。
山梨日立建機は2006年、日立建機の子会社となった。
地雷除去機の開発で磨いたスキルを活かし、日立建機本体から特殊な機材の組み立てなどを請け負うように経営基盤が強化された。
一方、日立建機本体の狙いはというと…
日立建機・社長の木川理二郎は地雷除去の事業をより強化するためだと説明する。
日本や欧米先進国で建設機械の需要が大きく落ち込む中、日立建機は今、アフリカに販売拠点を増やしている。
アフリカには地雷の被害国も多く、地雷除去のグランドに期待がかかる。
はるか遠くにある目標をかかげ続けた雨宮。
その執念が日本で、そして世界で必要とされる会社を作り上げていた。

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