『カンブリア宮殿』 テレ東(月)22:00~
公式HP:http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/
出演者:村上龍、松丸友紀(テレビ東京アナウンサー)、鈴木修
◆カンブリアFile No.142 スズキ会長兼社長 鈴木修
スズキは今から100年前、織物を織る機械のメーカー(鈴木式織機製作所)として生まれた。
1952年にはエンジン付きの自転車を発売。
その3年後には初めての軽自動車「スズライト」を売り出す。
その頃、修は二代目社長の娘と結婚。鈴木自動車工業に入社した。
その後、修は販売、工場建設、海外事業などを歴任。
この間、弱小メーカーだったスズキは軽自動車で勝負に出る。
次々と新しいタイプの車を世に送り出していった。
最高速度125km/h、軽自動車最速の「フロンテ」。
若い女性を意識したスポーツタイプの「セルボ」。
そして「ジムニー」。なんと四輪区動の軽自動車を作り、ヒットさせた。
しかし、その後スズキに危機が襲い掛かる。
●『スズキを救った名車「アルト」開発秘話』
1975年、モータリゼーションと共に排気ガスの大気汚染が社会問題になり、厳しい排ガス規制が導入された。
ライバルメーカーは規制をクリアしたエンジンの開発に成功。
しかしスズキは失敗。あのトヨタからエンジンを譲ってもらうという屈辱を味わう。
さらなる危機がスズキに押し寄せる。
時代は高級車志向となり、軽自動車の時代は終わったとさえ言われ始める。
スズキに倒産の2文字が迫っていた。
そんな中、48歳の若さで社長に就任したのが修だった。
修にはある確信があった。
”ひとつの車が自動車メーカーの姿を大きく変える”
ある日、修は工場に出かけた。
見ると社員たちは荷台の付いた軽トラックで通勤していた。
そこで修は聞いた。
「なんでトラックなんかで通勤しているんだ?」
社員の答えはこうだった。
当時のスズキの社員は休日に農業を営む半工半農が多かった。
荷台の付いた軽トラは野菜の出荷などに便利だという。
しかし軽トラでドライブに出かけると家族は格好悪いと嫌がるそうだ。
これを聞いた修は閃いた。
”荷物が積める軽自動車を作ろう!”
しかも修は激安にこだわった。
現場に命じたのは原価なんと35万円。
この非常識な注文にエンジニアたちは猛反発した。
当時こんなやりとりがあったという。
私が「コストを下げるために灰皿を取れ、スペアタイヤを取れ」と言っても「そんなことをしたくらいでは35万円にはなりません」と言います。「それならエンジンを取ったらどうだ」と言うと、コストダウンにかける私の気持ちが通じたのでしょう。「何とかやってみます」と言って懸命のコストダウンを続けてくれました。(鈴木修著「俺は、中小企業のおやじ」より)
そして、ようやく1台の車が完成する。
自動車業界の常識を覆す車の登場だった。
ドライブも出来て後ろには荷物が沢山積める。軽いので燃費も抜群。しかも価格は47万円。
平均的な軽自動車より2割も安かった。
修の読みは当たり、アルトは累計で477万台を売る大ヒットとなった。
一つの車が自動車メーカーの姿を大きく変えた瞬間だった。
●『不況でも注文殺到 これが日本一売れる車だ!』
自動車業界を世界同時不況が襲う。その出口は未だ見えない。
活気のあった工場からは従業員が消え、販売店は相次いで閉鎖。
そんな中、修会長がウチの工場(静岡・湖西市 スズキ湖西工場)を見に来いと言う。
夜中なのに音が聞こえてきた。中に入ってみると大型の機械が唸りを上げて動いていた。
鉄の板がプレスされて出てきたのは車のボディ。
自動車不況で各社が減産に踏み切るなか、この工場はフル稼働。
午前3時まで創業を続けていた。
1分間に1台のペースで次々と車が生み出されていく。
この景気の良い車の正体とは、5年連続国内で最も売れた車「ワゴンR」だ。
売れ続ける「ワゴンR」のスゴさとは…
○【ワゴンRの秘密 その1】
見えないところは削りに削って先代のワゴンRより10キロも軽くした。
余分なものは1グラムたりとも残さない。
製造コストも安くなるが車体を軽くすればその分燃費も良くなる。
○【ワゴンRの秘密 その2】
軽自動車は法律で大きさが制限されている。
ワゴンRはその限界に挑戦した。
車の長さと幅は規格よりわずか5ミリ小さいだけ。
軽自動車でもこの広さならドライブも快適だ。
○【ワゴンRの秘密 その3】
93年の発売以来、確実に性能を進化させてきたワゴンR。
見た目をさらに格好良くしようとデザインも試行錯誤した。
徹夜の議論を繰り返し、やっとたどり着いた結論は…
”外見は変えない”
パッと見てワゴンRだと分かるデザインはスズキの財産。
●『不況でも黒字670億円 スズキ式”逆張り経営”』
なぜスズキは黒字でいられるのか?
そのヒントはインドにあった。
インドでのスズキのシェアは約50%。トヨタでさえ足下にも及ばない。
(インドでの販売シェア・2月 スズキ⇒49% トヨタ⇒2%)
世界不況の中、スズキのインドでの売り上げは1月2月と続けて過去最高を更新した。
スズキがインドに進出したのは27年も前のこと。
当時、発展途上国だったインドにスズキ以外のメーカーはどこも興味を示さなかった。
スズキはカーストの身分制度が残るインドに日本流の経営手法を持ち込み、1から仕事を叩き込んだ。
修会長もインドを100回以上も訪問。現場で自ら陣頭指揮を執った。
そして掴み取ったナンバーワンの座。
独自の道を切り開きスズキは勝ち残ってみせた。