スポンサーリンク

『カンブリア宮殿』 11月16日

カンブリア宮殿』 テレビ東京(月)22:00~
公式HP:http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/
出演者:村上龍、小池栄子、荻田伍
企業サバイバル 第2弾
◆カンブリアFile No.174 アサヒビール社長 荻田伍
●『”夕日ビール” どん底を知る営業の鬼
東京・新宿にあるビヤホール。
この店の客は22年前に誕生したあるビールの味に魅かれて飲み続けている客ばかりだという。
その店の名はアサヒスーパードライ。
現在、ビールの5割がスーパードライ。
アサヒビールは11年連続でシェアトップを誇る。
10月20日、荻田は山形にいた。
この日やって来たのは得意先の卸問屋だ。
社長になった今も、毎月10日程は日本全国の得意先を回る。
そして夜は支社のメンバーを引き連れて、必ず飲みに繰り出すのが荻田流だ。
宴会で飲む酒は1種類。もちろんスーパードライだ。
営業一筋37年、荻田はかつてのどん底でも売りまくった営業の鬼だ。
1965年、アサヒビールに入社した荻田。
入社3年目には営業に配属された。
当時のアサヒビール、これが全く売れなかった。
アサヒのシェアは20%を割り込み、下落の一途を辿っていた。
この頃、荻田が酒屋を回ってもほとんど相手にされなかった。
荻田はあきらめずに酒屋に通い、アサヒビールを少しでも店に置いてもらうため様々な作戦を実行した
その一つが「四隅作戦」。
四隅作戦、それはライバル社のビールケースの四隅だけをアサヒビールに変えてもらい、酒屋から客に売ってもらうという作戦だった。

群馬県前橋市。
当時、荻田の四隅作戦に協力していたという酒屋がある。
店にはアサヒビールからの感謝状が掲げられていた。
そこには「アサヒ会々員」と書かれていた。

荻田は前橋の酒屋を一軒一軒、アサヒのファンに変えアサヒ会として囲い込んだ。
毎年、親睦旅行に行き、アサヒ会に参加する酒屋は70店にまで膨らんだ。
そんな荻田たちの努力の結果が、この自動販売機だ。

アサヒ会の酒屋70店が全て導入し、アサヒビールの売り上げがグッと増えたという。
夕日ビールと言われたどん底で荻田は営業力を鍛えいていた。


●『部下が惚れた荻田の「10円玉伝説」
今でも語り草になっている荻田の課長時代のエピソードがある。
どん底の状況でも荻田のチームには一体感があったという。
当時、荻田たち営業マンは連日出張。
ホテルに泊まり、現場を渡り歩いていた荻田は、毎朝公衆電話に10円玉を積み上げ、会えない部下に電話をした。
そして決まってこう言ったという。
「俺にできることはあるか?」


●『世紀の大逆転 スーパードライ誕生秘話
1980年代前半、アサヒビールは業界最後発のサントリーに激しく追い上げられる。
’85年、アサヒのシェアは9.6%。
サントリーがわずか0.3ポイント差に迫った。

”このままでは会社が潰れる…”
社運を賭けたプロジェクトが始まった。
それはビールの味の大転換だった。
当時、シェアトップのキリンラガーを意識してアサヒビールも苦味を追求していた。
アサヒは5000人の消費者に調査を実施する。
苦味を外すとそこに軽快ですっきりしたビールを求める消費者の姿が見えてきた。
数百種ある酵母から選ばれたのが「アサヒ318号酵母」。
この酵母の高い発酵能力がビールの雑味を取り除き、狙い通りすっきりしたビールが完成した。
そして1987年3月、あのスーパードライが発売された。
スーパードライは瞬く間に大ヒットとなり、会社を存亡の危機から救った。
消費者はその味を支持した。
当時、荻田が担当していた九州で、1997年、アサヒは初めてシェアトップに立った。
”日は西から昇る”と言われた快進撃だった。
翌年、アサヒは全国でもキリンを抜きシェアトップを奪い取った。
それは世紀の大逆転だった。


●『逆境の指揮官 大逆転の法則
しかし、アサヒには逆境の子会社があった。
清涼飲料を扱うアサヒ飲料だ。
当時のアサヒ飲料は3年連続赤字。
あと2年赤字が続けば債務超過に陥る状況だった。
2003年、その立て直しを命じられて社長に就任したのが荻田だった。
荻田はまず多くの社員と直接話をし、危機感を持って自立しようと訴えた。
次に売れる商品が必要だと、主力商品の見直しを始めた。
その一つが120年の歴史を持つ「三ツ矢サイダー」だった。
4年連続で販売量が落ち込んでいた三ツ矢サイダーを、若手社員の意見も取り入れて、1から見直した。
そして原料の水を違う硬度のものに変えたほか、自然志向の高まりに合わせて香料を自然由来のものに切り替えた。
生まれ変わった三ツ矢サイダー。
荻田はキャンペーンの陣頭指揮に立った。
その後、販売量は5年連続で伸び続け、リニューアル前のほぼ2倍に成長した。
アサヒ飲料は荻田が就任した年から赤字を脱出V字回復を果たした。
荻田はまたも逆境からの大逆転を果たした。
2006年、アサヒビール社長になる荻田の送別会が開かれた。
社員たちは荻ちゃん人形を作った。
それは売れる商品を作り先頭に立って戦う指揮官の姿だった。
社員は逆境の指揮官を心から称えた。


●『ビール最終戦争 アサヒVSキリン
東京都内のスーパー。ここで異変が起こっていた。
店の入り口に近く客の目を引く特等席に、業界トップのはずのアサヒはなくキリンが独占していたのだ。
キリンが大攻勢をかけるのは第3のビールと呼ばれる新しいジャンルだ。
ビールより3割以上安く、今ここがビール戦争の主戦場となっている。
キリンはトップブランド「のどごし生」に加え、6月と9月に新商品を発売。
第3のビールで4割のシェアを獲得している。
一方、アサヒのシェアは2割と大きく出遅れている。
10月15日。
荻田の表情は厳しかった。
手にした新聞には「キリン3年ぶり首位」の見出しが踊っていた。
ビールに発泡酒・第3のビールを加えたシェアで、9月までキリンがアサヒを0.6ポイント上回り、年間トップに王手をかけている。
新たな逆境に荻田はどう挑むのか…。

タイトルとURLをコピーしました