『カンブリア宮殿』 テレビ東京(月)22:00~
公式HP:http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/
出演者:村上龍、小池栄子、新田嘉一
【地方”独立”宣言 第1弾】
◆カンブリアFile No.163 平田牧場会長 新田嘉一
●『”絶品豚”で年商160億円 独占!平田牧場の秘密』
正午の東京ミッドタウン。
賑わう飲食街を訪ねると、そこにいつもひと際長い行列を作る店がある。この日も20人待ち。
店の名は平田牧場。
実はこの店、その人気ぶりに施設側から、もう1店舗作って欲しいと、先月、別の階にも新しい店をオープンした。こちらも満席だ。
次々と運ばれてくるのは自慢のトンカツ。
平田牧場がこだわりぬいた豚肉だ。
もっとも人気なのがこちら。
「平牧三元豚」というブランド豚。驚くほどの柔らかさに上品な甘味が特徴。
一度食べればリピーターになること必死。
今、巷では平田牧場の豚肉がブームだという。
雑誌をめくればその名を見かけないことはないほどの人気ぶり。
平田牧場は日本有数の米処、庄内平野の真ん中に位置する山形県・酒田市にある。
酒田は江戸時代から北前舟の交易地として栄えてきた伝統ある町。
一体、ブームの平牧三元豚はなぜ美味しいのか?
その秘密はこの牧場に隠されている。
これまで豚舎にカメラが入ったことはない。
いよいよ平田牧場の全貌が明らかに。
まず、靴の消毒をしなければならない。続いて案内されたのはなんと浴室。
ここでは毎朝シャワーを浴びないと豚舎への立ち入りが許可されないのだ。
この窓一つない変わった建物が豚舎だという。
そしていよいよ中へ。
ここで2回目の靴の洗浄。さらになんと、また靴を履き変える徹底振り。
豚舎の中はさらに隔離された部屋が並ぶ2重構造になっている。
ようやくその厳重な部屋の中へ。
するとまた靴の洗浄。徹底的な管理体制の中ついに…。
生後三日という色とりどりのこの子豚たちこそ平田牧場のドル箱・平牧三元豚である。
免疫力がない赤ちゃん豚を健康で美味しい豚に育てるため徹底した安全管理が行われている。
1ヶ月経ち、免疫が出来ると広い豚舎へ移される。
ストレスの少ない特製のふかふかの寝床が美味しい肉質を作るのだという。
さらにこだわりのエサは、遺伝子組み換えでない穀物だけを使い、肉骨粉などの動物性タンパク質は一切使わない。
通常の豚より20日以上時間をかけ、ゆっくり育てることで抜群の脂の乗りとなる。
実は平田牧場は、北海道から栃木まで全国50ヶ所以上の協力農家と提携し、平田のブランド豚を生産している。
この生産体制が年間20万頭の出荷を可能にし、年商160億円の畜産企業を作り上げた。
1933年、庄内平野に広大な水田を持つ裕福な地主の家に新田は生まれた。
しかし、戦後の野内開放で一家の運命は一転。
かつての小作人に米を無心するほどに没落していった。
そんな中、長男であったにも関わらず新田は父親にこう切り出す。
”これからの食事はタンパク質中心になる 稲作をやめて畜産業をやろう”
父親はこれに激怒。
新田は勘当同然となってしまう。
そして、新田は豚を2頭購入し、ある決意を胸にする。
”日本一うまい豚を作ってやる!”
新田が40年以上も前に建てた第1号の豚舎。
ここに新田が最も大事にしている豚がいるという。
それがこの黒豚だ。
実は、これが平牧自慢の味を決めている最も大切な豚なのだ。
かつて日本一の豚肉を作ると誓った新田は、世界中の豚を買い付け交配を繰り返した。
そしてヨーロッパで見つけた子沢山の「ランドレース」と、アメリカに生息する屈強な「デュロック」を交配した子供に、さらに第3の豚を掛け合わせる手法にたどり着く。
味を決定づけるその第3の豚こそ、鹿児島産の選りすぐりの黒豚「バークシャー」。
世界中を駆け巡り、新田がたどり着いた絶品の豚、それが3つの豚から生まれた「平牧三元豚」なのだ。
稲作を捨てた新田の執念が空前の人気ブランド豚を生んだ。
●『年商160億円!平田牧場 知られざる大手流通との戦い』
休日の酒田市。
そこに観光客が殺到する場所がある。
車のナンバーを見ると首都圏からのものも少なくない。
実はここ平田牧場の直売場。
店内を見るとなんと100g 1400円の豚肉が…。
平田牧場が誇る最高級の豚「金華豚」だ。そんな高額な豚肉が飛ぶように売れていく。
わざわざ客が詰め掛けるのには訳がある。
平田牧場の商品のほとんどが普通のスーパーでは流通していないのだ。
その理由とは…
1976年、日本一の豚を作ろうと日々格闘していた新田はあることに頭を悩ませていた。
それは当時、最大の取引先であり急成長していたダイエーからのこんな要求だった。
「これだけ仕入れてるんだからもっと安くしてもらわないとね」
すでに月1000豚を超えていたダイエーとの取引。
最初は新田の作る豚を評価してくれていたのだが、いつしか値下げの要求ばかりになっていた。
日増しに強くなるダイエーからの値下げ要請。
ついに新田はとんでもない決断をする。
”ダイエーとの取引は明日から全部やめる 全部だ”
新田にはダイエーの考え方自体が許せなかった。
そして、最大の取引先を失った新田を支えたのが、東京にあった小さな共同購入の主婦たちの集まり、「生活クラブ」だった。
生活クラブはいわゆる生協の中でも特に取り扱い品の品質にこだわり続けてきた団体。
会員しか買うことの出来ないこのお店には、普通のスーパーではあまり売られていない商品が並んでいる。
そのこだわりとは、生産現場にまで出向き、原料や製造工程をチェック、情報を明かしていない商品は扱わない。
その一方で生産者が困らないだけの対価は払う。
そんな生活クラブが初めて生鮮品として扱い始めたのが平田牧場の豚肉だった。
当時、直に新田の牧場まで足を運んだ主婦達は、そのこだわり抜いた生産現場に思わず声を上げた。
「この豚肉が食べたい!」
そして、そんな生活クラブとの連携が画期的な商品を生んだ。
それが20年前に開発された日本初の完全無添加のソーセージ。
その開発は苦難の道だった。
いかに保存料を入れず腐らせないで東京に届けるか。
新田はクリーンルームを導入するなど様々な設備投資を行った。
そんな新田と生活クラブが一体となった試行錯誤の末、ついに15年目、完全無添加が実現する。
わずかな量から始まった生活クラブとの取引は現在なんと10万頭近く。
平田牧場は大手流通に頼らない販路を開拓して生活クラブとともに成長を遂げた。
●『年商160億円!平田牧場 地方よ”独立”せよ!』
人口11万人の酒田市。
今、酒田に来る観光客が増えているという。
観光客が必ず足を運ぶ場所、それがこの相馬楼。
かつて酒田が交易の要所として栄えた時代を彷彿とさせる豪華な建物。そして舞妓。
実は元々料亭だった相馬楼。
10年前に経営破綻し、更地にされる寸前だったところをある男が救った。
窮地を知るや4億円を寄付、観光施設に改修したのが新田だった。
実は新田、酒田の人にとっては足を向けて眠れない存在だ。
例えば、酒田市内からわずか15分、大都市からのアクセスを飛躍的に便利にしたこの庄内空港も新田の尽力で造られた。
そして1000人が学ぶこの大学も新田の寄付があって完成した。
さらに酒田市が誇る美術館・酒田市美術館。
すっかり観光名所となったこの美術館には、なんと12億円近くも寄付をしている。
日本の洋画界の巨匠・森田茂の傑作の数々も全て新田が寄付をしたものだ。
そこにあるのは、かつて酒田の礎だった稲作を捨てた新田の地元への想い。
そんな新田の想いを受け継いだ男、新田の長男・嘉七。
彼は今、酒田の広大な水田を飛び回る日々だ。
実は嘉七、平田の豚の飼料に地元の農家が作った米を使おうと奔走している。
生産調整により減反を強いられている田んぼで、豚の飼料用の米を作れば稲作農家の苦境を救えると考えたのだ。
既に平田牧場では近隣の農家から2000トンの飼料米を買い上げ、豚のエサの10%を米で賄っている。
庄内の稲作農家が田んぼを活かし、さらに美味しい豚が作られる。
2頭の豚から始まった挑戦がジリ貧だった地方経済に新たな力を生もうとしていた。