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『カンブリア宮殿』 5月18日

カンブリア宮殿』 テレ東(月)22:00~
公式HP:http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/
出演者:村上龍、小池栄子、川崎和男
◆カンブリアFile No.148 工業デザイナー 川崎和男
●『世界を魅了するアイデア ヒット連発デザイナー
去年、世界中が注目したアメリカの大統領選挙。
話題をさらったのは共和党の副大統領候補サラ・ペイリン。
しかしその人気を新聞(USA TODAY)は「国民は彼女の目を見ているのではない。彼女のメガネを見ているのだ。」と書いた。
選挙には負けたがメガネは大ブレイク。注文が殺到した。

実はこのメガネ日本製。福井で作られていた。
100年以上、メガネを作る「増永眼鏡」。
ペイリンのメガネは2万本を売り上げていた。
このブランドは元々海外で有名人のファンが多く、特に政治家に人気だ。
実はこのメガネ、ブレイクしたのにはわけがあった。
それがこのレンズを固定する部分。

なんとネジを使わず刺してとめているだけ。
紙をとめるクリップをヒントにレンズをとめる新しい形が考案された。
その結果、大幅に部品が減り、一般のメガネと比べると半分、重さはわずか7gとなった。
驚くほどの軽さがかけやすいと人気になったのだ。
このメガネをデザインしたのが今年還暦を迎えた川崎である。
福井で生まれた川崎。
金沢工芸美術大学を卒業後、東芝に入社。
オーディオブランド「オーレックス」のデザインを担当し、若者の圧倒的な支持を得た。
しかし順風満帆に見えた川崎の人生が一変する出来事が起こる。
1978年1月2日。深夜、タクシーに乗っていた川崎。
信号待ちで止まっているとその後ろから1台の車がつっ込んできた。
酔っ払いの車だった。
そして川崎は自ら歩く能力を失った。
車椅子生活となった川崎は独立しデザイン事務所を構える。
そしてそれまで以上に仕事に打ち込んだ。
その仕事振りからいつしかこう呼ばれる様になる。
”デザイン界の喧嘩師”
徹底的に戦うデザイナー川崎。
川崎にとって自らの作品を守ることこそデザイナーの仕事だという。
川崎の作品は台所用品や筆記具、身の回りのありとあらゆるものに及び、世界中から高い評価を受ける。
さらにあのアップルコンピュータ初の日本人デザイナーとして活躍。
川崎の斬新なデザインは後のアップルの商品に大きな影響を与えたという。
そして次々と世界のデザイン賞を受賞。
日本で一番海外からの賞を多く獲得したデザイナーとなった。
還暦を過ぎてもなお川崎はデザイン界の第一線を走り続ける。
●『年商が6倍になるデザイン 中小メーカーの救世主
都内にあるオシャレな家具屋さん(新宿アクタス)。
ここに川崎の作品があると聞いてやってきた。
ところが案内されたのは家具ではなくテレビ。
川崎がデザインしたのは薄型のテレビだった。
そんなテレビを作ったのは石川県にある「ナナオ」。
医療現場で使われるモニターも手がける、技術力が自慢のメーカーだ。
ナナオは41年前に創業。
大企業の下請けで商品を作る中小企業に過ぎなかった。
ところが川崎がデザインを手がけるようになってから150億円だった売り上げが6倍の900億円を超えた。
ちなみにブランドのロゴも川崎がデザイン。
地方企業を急成長させたのはデザインの力だった。
その原点は川崎のふるさと福井にあった。
越前市は包丁職人の町。
「越前打刃物」は700年も続いてきた伝統的技術だ。
ここに交通事故に遭った川崎が30年前東京から戻ってきていた。
当時の状況を川崎はこう語る。
「越前打刃物の産地へ行ってみたら悲惨だった。跡継ぎがいない状況…」
廃業寸前の危機。
しかし川崎はその技術力に目を付けた。
硬い鋼(はがね)の両側を鉄で挟み、叩いて薄く延ばし、刃物を作っていく。
抜群の切れ味でかつて日本一の生産量を誇った伝統の技。
川崎は何か出来るのではないかと包丁職人を訪ねた。
そして刃物のデザインを見せた。
しかし東京帰りのモダンなデザインは職人たちには理解不能だった。
デザインを拒否する職人に川崎はさらにアイデアをぶつけた。
”従来の包丁は鉄のためサビやすい。ならばサビないステンレスで作れないか。”
川崎は刃物職人を連れて材料の業者に押しかけた。
川崎「ステンレスを使って包丁の材料を作ってもらえませんか?」
業者「え?そんなもん作った事もないよ」
川崎「新しい包丁を作るためにどうしても必要なんです。何とかお願いします!」
川崎の熱意を目の当たりにし職人達は心を動かされた。
川崎と職人達の挑戦が始まって1年。
生み出されたのがこの包丁。

刃だけではなく柄もサビないステンレスで作ってみせた。
越前の伝統技術と川崎のデザインが見事に融合した。
鋼をステンレスで包む型破りな提案に職人達は見事に応えた。
川崎は職人達を集め共同で製造販売を行う集団を結成。
包丁はグッドデザイン賞を受賞。海外でも売れ捲った。
そして今、観光バスが乗りつける職人達の店「タケフナイフビレッジ(20人の職人による共同経営)」。
客が溢れる店内では高額な刃物が次々と売れていく。
消えかけた伝統技術がデザインの力で復活を果たした。
●『東大教授もビックリ!! 「心臓」をデザイン
カナダ・モントリオール科学センター。
ここには21世紀の人類の夢として世界から10個の作品が集められ展示されている。
その中に川崎の作品もあるという。
なんとそれは人工心臓だった。

実は川崎10年以上も前から人工心臓に取り組んでいたのだ。
そしてそのデザインに東大が興味を示した。
世界でまだ誰も成功させていない心臓を摘出し人工のものに置き換える挑戦。
研究を続けてきた東京大学大学院医学系研究科 阿部祐輔 准教授。
阿部の成果がこれだ。

両脇についたモーターで内側に作られた左右の心室に血液を送り出す。
しかしこれには問題があった。
ポンプの負荷が上がった場合、血圧が上がった時など駆動しているモーターから発熱し、そこが熱傷を起こしたりする問題がある。
この欠点に悩む阿部の目に留まったのが川崎デザインの人工心臓だった。

川崎が考案したモデルは血液の通る心室を外側に、モーターはその間に配置した。
両側の心室に流れる血流でモーターの熱を冷やす仕組みだ。
そして阿部の最新モデル。

モーターを中心に置いた川崎のデザインが採用された。
東大の地下1階。
実はすでに最新の人工心臓は実用化へ向けた実験が行われているという。
そこは人工心臓動物実験室。
東大の地下室でひっそりと行われていたのはヤギを使った実験。

阿部はすでに実際にヤギに人工心臓を埋め込む実験で530日もの生存記録を作っていた。

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