『カンブリア宮殿』 テレ東(月)22:00~
公式HP:http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/
出演者:村上龍、松丸友紀(テレビ東京アナウンサー)、鈴木修
◆カンブリアFile No.138 スズキ会長兼社長 鈴木修
スズキは今から100年前、織物を織る機械のメーカーとして生まれた。
1952年にはエンジン付きの自転車「パワーフリー号」を発売。
その3年後には初めての軽自動車「スズライト」を売り出す。
その頃、修は鈴木2代目社長の娘と結婚し、スズキ(鈴木自動車工業)に入社した。
その後、修は販売や工場、海外子会社の社長を歴任。
1978年には48歳の若さで社長に就任した。
その修が自ら手がけ、スズキの業績を躍進させたのが軽自動車「アルト」だった。
アルトは荷物が積めて燃費が良く、しかも価格は常識破りの47万円。
これまで477万台を売る大ヒット商品となった。
この他にもフロンテ、セルボ、ジムニーと、かつてない軽自動車を次々と世に送り出す。
そしてスズキの軽へのこだわりを引き継いだのが「ワゴンR」だ。
軽自動車とは思えない広い室内空間が最大のウリ。
このスタイルをライバル会社も真似た。
そのワゴンRは5年連続、国内で最も売れた車となった。
●『不況でも黒字670億円 ”戦時”の経営術とは!』
○「刀狩り(1)」
本社に集められた、印刷費の高いカラー対応のコピー機やプリンター。その数約250台。
費用削減のため全て売却。
○「刀狩り(2)」
スズキではこれまで社員の引き出しに眠っていた余分な文房具を全て没収。
さらに社内で回収品の展示会まで開いて社員に無駄を認識させた。
その後、事務用品は部署ごと一ヶ所に集められた。
○「夜戦禁止」
スズキでは基本的に残業は禁止。
仕事をスピードアップして残業代を減らす。
○「登城禁止」
この不況により、スズキは減産を決定。2月から数日間、生産ラインを止め、社員を家に帰らせた。
製造部門だけでなく管理部門の社員も全員一緒に休ませる。
スズキが見せた「戦時の経営」とはみんなで痛みを分かち合う総力戦だった。
●『不況でも黒字670億円 スズキはなぜ強い!?』
去年まで日本経済を牽引してきた自動車メーカーが次々と赤字に転落していく。
そんな中、スズキはなんと670億円の営業黒字を叩き出した。
天地を分けたものは一体なんだったのか。
スズキがハンガリーで生産している小型車「スプラッシュ」。
既に世界24ヶ国で発売している。
この車には、日本の自動車業界を苦しめる円高を克服するヒントが隠されていた。
例えば1台1万ドルで売る車を輸出したとしよう。
1ドル100円の時に売れば100万円の売り上げになるが、円高が進み、1ドル90円になると売り上げは90万円に減ってしまう。
わずかな円高でも自動車メーカーにとっては死活問題だ。
スズキはこれを逆手に取った。
海外で生産した車を日本に輸入すれば円高は一転、利益をもたらす。
まさに逆転の発想である。
今や世界23ヶ国で生産するスズキ。
中でもインドには25年前、大手メーカーが見向きもしなかった時代にいち早く進出した。
その後、インドにはモータリゼーションの波が訪れ、スズキの車は爆発的に売れ始めた。
今やインドを走る車の2台に1台はスズキの車だ。
不況の中でもスズキのインドでの新車販売は今年1月過去最高を記録した。
常にライバルとは違う独自の道を切り開いてきたスズキ。
この逆張り経営が今大きな果実となって実を結んでいる。